不登校の“静かな爆弾”に気づくために——最悪の事態を防ぐ「予見」と「記録」のすすめ——

近年、「無理に学校へ行かなくてもよい」という考え方が広まり、不登校は本人のペースを尊重する選択肢の一つとして肯定的に受け止められるようになった。しかし、その背後にあるもう一つの側面——誰にも気づかれなかった怒りや絶望——には、注意が必要だ。
静かに蓄積する“エネルギー”
不登校の理由がはっきりしない場合、心の中に「なぜ理解してもらえないのか」「自分は認められていないのではないか」という思いが静かに溜まっていく。それは、やがて自身への攻撃(無気力、リストカット、引きこもり)として表れるか、あるいは社会や他者に向けて突発的に噴き出すこともある。

象徴的な事件として記憶に残るのが、2025年の東大前刺傷事件だ。進学への不安と孤独に苛まれた加害者は、「東大」という象徴的な存在を無差別に攻撃するという形で行動に出た。このような悲劇を未然に防ぐためには、不登校に伴う内面の変化にもっと敏感であるべきだ。

「記録」と「意思表示」が家庭を守る
行政書士として、不登校をめぐる家庭の葛藤や、本人の心理的変化を文章化する重要性を強く感じている。たとえば、

  • 日々の様子の変化を記録する
  • 親の気持ちや支援方針を「家庭生活方針通知書」として残す
  • 第三者(行政書士など)を通じて、本人へ穏やかに伝える

こうした取り組みは、家族の「気づいていた」「向き合おうとしていた」という姿勢を明確にし、未来の予防策となる。

突発的な行動を防ぐために
「見守ること」と「放置すること」は決して同じではない。子どもの心の奥に潜む苦しみや怒りに、親や周囲が気づこうとする姿勢こそが、防波堤になる。

行政書士として、私は不登校支援の一環として、

  • 家庭からの意思表示文書作成
  • 学校や支援機関との文書による連携
  • 第三者的な見守りと助言

といったかたちで関与し、家族が「見守る」ための支援を整えるお手伝いをしている。

「うちの子は大丈夫」——その言葉の裏には、時に危うさが潜んでいる。「今、何を見て、何を記録し、どう伝えていくのか」が、未来を変える力になると信じている。

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