「誰も問いを投げなかった」──小学2年生と暴力事件が問いかけるもの

2025年5月、東京都立川市の小学校に外部の男性2人が侵入し、教職員5人を負傷させるという前代未聞の事件が起きました。
加害者のひとりは、同校に通う小学2年生の児童の母親の知人でした。
小学2年生──まだ物事の良し悪しを学び、友達関係に不安や喜びを抱きながら過ごす、そんな年齢です。
けれど今回、問題が起きた後、大人たちは“何が起きていたのか”を問い直す前に、行動してしまった。
SNS時代の“短絡回路”
SNSの普及は、声をあげやすくした一方で、「問いを投げかけ、複数の視点から考える」という営みを削ぎ落としました。
• 「あの学校はひどいらしい」
• 「担任が冷たい態度を取ったらしい」
• 「うちの子が傷ついて帰ってきた」
この「らしい」が共有され、信じ込まれ、感情が共鳴し、確認よりも行動が先行した結果が今回の事件です。
「20の扉」が閉ざされた世界
昔、NHKに「20の扉」という番組がありました。
出題されたひとつの“答え”に対して、出演者たちは「はい」「いいえ」でしか答えられない問いを重ねながら、論理と想像力を駆使して核心に近づいていく──まさに知的対話の見本でした。
今回、もし誰かが問いを重ねていたらどうだったでしょう?
• 「先生は、どんな対応をしてくれたのか?」
• 「本当に“いじめ”だったのか、“すれ違い”ではなかったか?」
• 「子どもはどう説明していたか?」
• 「知人に伝える前に、学校と再度冷静に話す機会はなかったのか?」
一つでも扉を開こうとする対話があれば、暴力という最悪の結末には至らなかったかもしれません。
文書は“開かれた扉”になるかもしれない
私たち行政書士は、問いを記録に変える仕事をしています。
事実関係を整理し、誤解や思い込みを言葉で可視化することで、「冷静な対話の起点」を生むことができます。
SNSが扉を閉じるなら、文書は扉を開く道具にもなりうるのです。
【結びに】
この事件が教えてくれるのは、「怒りの矛先」ではなく、問いかけることの尊さです。
小学2年生のトラブルに、大人たちが理性を取り戻し、問いを重ね、対話で解決する未来を──
それが「新20の扉」の再起動です。

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